環状2号。かつては一面の水田だったという。
今では交通の要所・ビジネスの中心として栄える新横浜ですが、かつてはのどかな田園地帯であったといいます。
新幹線駅が出来る前は、鶴見川を中心とした一面の水田で、ちょうど写真の環状2号線のあたりも田んぼであったといいます。
その後新幹線駅を端緒として交通インフラが整えられ、新横浜の街が築かれていきました。また自治体による企業誘致も盛んに行われ、こんにち見るようなビジネスの街・新横浜ができたのです。
これまでのページでもご紹介したように、新横浜は現在も成長を続けている街でもあります。これからも街とインフラが整備され、人と企業が集まることにより、さらに活気溢れる街となっていきます。